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紹興酒・2種類の紹興酒を飲んだ!|紹興市の紹興酒と台湾産紹興酒の味は?

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紹興酒、みなさん飲まれたことありますか?

スーパーなどに行っても、あまり紹興酒は見られませんね。紹興酒を見つけられても、お店に置いてあるのは1種類というパターンが多いでしょう。

僕は紹興酒が大好きです。今回はその紹興酒の話題です。戦前の雑誌に載っていた「紹興」の街の様子も紹介します。

紹興酒を探して神戸・南京町に行った

紹興酒が飲みたい!と思い、神戸・南京町に行きました。神戸・南京町にあるよく行く中華食材屋さんに行きました。

神戸・南京町は、横浜・長崎とならぶ日本三大中華街のひとつです。

横浜は「横浜中華街」、長崎は「長崎新地中華街」と呼びますが、神戸の場合、「南京町」と呼ばれて親しまれています。

昭和4年(1929年)頃の神戸・南京町

「南京町」という名前は、当時の日本人が中国から来た人や物を、親しみをこめて「なんきん(さん)」 と呼んだことに由来しています。

横浜でも戦前は「南京町」と呼ばれていたのですよ。しかし、横浜では戦後に「中華街」と名前を改 めています。神戸では、伝統ある名前に誇りを持った人々が、変えることなく現在も使い続け、「南京町」の名称が残っているのです。

現在の南京町

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紹興酒を買った神戸・南京町の場所

神戸・南京町は神戸市中央区の元町通と栄町通にまたがるエリアにあります。中国料理店や、中華系の商店が約100軒も集まるチャイナタウンです。平日でも、とても多くの人が食べ歩きを楽しんでいる様子が見られます。一般の観光客だけでなく、修学旅行生も多く訪れ、異国情緒が感じられる神戸屈指の人気観光スポットです。

神戸・南京町はJR神戸線、元町駅から歩いて行けるので便利ですね。

廣記商行

紹興酒を買ったのは、元町の廣記商行です。僕はいつも中国の食材をここで買っています。

廣記商行の前には不思議な鍋が置いてあります。よく先代の社長さんが水飛沫をあげて通行人を喜ばせていたのが懐かしいです。

以下は、現在のスタッフの方の実演。写真を撮らせていただきました。(実はこの後、僕もやってみて成功しました!)

「魚洗鍋」(「ぎょせんなべ」と読むらしい)です。深い中華鍋の形した鍋に取っ手があり、その取っ手を手のひらで包み込む様におさえて擦ると、鍋の水が跳ね上がるという仕組みです。

なぜ元町か?

1868年1月1日の正午、イギリスの戦艦「ロドニー号」をはじめとする英米の艦隊18隻から一斉に祝砲が撃たれ、神戸村(今の1、2丁目)の海岸にあった神戸港が開港しました。

すぐ西側には平安時代から瀬戸内海屈指の港として知られ、 日宋貿易で平家の繁栄を支えた兵庫港がありましたが、人家が多くて外国人居留地を作る用地がなかったことなどから、 神戸港が開港場に選ばれたそうです。
開港6年後の1874年、港のそばで西国街道沿いにあった神戸村、 二ツ茶屋村、走水村の3村は合わせて「元町」になりました。 開港の影響で一帯は人がたくさん集まるようになったため、 「ここが神戸のもとの町」という意味で名づけられたのです。

開港神戸之図 慶応4年(1868)頃 神戸市立博物館蔵

紹興酒は世界3大美酒のひとつ

紹興酒は世界3大美酒のひとつということ、ご存知でしたか?世界3大美酒は以下とされています。

  • 日本の純米吟醸酒
  • フランスのワイン
  • 中国の紹興酒

 

もう一つの説

  • イギリスのスコッチ・ウィスキー
  • フランスのコニャック
  • 中国の紹興酒

紹興酒とは

紹興酒は中国で製造される醸造酒の一つです。中国酒には大別して蒸留酒の「白酒」と醸造酒の「黄酒」があります。

紹興酒は「黄酒」を代表する酒なのです。

紹興酒は産地呼称のひとつ

紹興酒は、フランスのシャンパーニュ、日本の壱岐島で作られる壱岐焼酎と同じ産地呼称の1つです。

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紹興酒の定義

紹興酒は「良質のもち米、小麦と紹興特定地域の鑑湖水(紹興にある鑑湖という湖の水)を原料とし、独特の発酵工程によって製造した品質のよい黄酒」と定義されています。輸出用の紹興酒には、さらに3年以上の貯蔵熟成を経て製品化されたものという要件が加わります。紹興酒は、清酒(純米酒)に比べて酸度が2、3倍高いので酸味が強く、色が濃く、甘く焦げた香りが広がるのが特徴です。

独立行政法人 酒類総合研究所

紹興酒はこのように特定の生産地を示す中国の地理表示製品なのです。

中華人民共和国における地理表示製品(ちりひょうじせいひん、中国語:地理标志产品)は、中華人民共和国政府が品質のすぐれた産地の製品を保護する目的で導入した原産地名称保護制度である。地理表示製品認証を受けた製品は、「地理表示認証」ステッカーを表示出来る。中華人民共和国における地理的表示認証制度は、主に国家質量監督検査検疫総局が管理している。

ウィキペディアより

この地理表示製品の認定は、2000年より紹興酒の事例より試行し、2001年より正式に施行されました。ということは、紹興酒が第一号だったのですね。

紹興酒の歴史

東シナ海に面した浙江省の紹興という都市には、風光明媚な鑑湖(かんこ)という名水をたたえた湖があり、周辺は稲作に恵まれた土地柄でした。この名水と米を使って紀元前400年ごろから作られるようになったのが黄酒の起源で、名産地だった紹興の名を取って紹興酒と呼ばれるようになりました。

紹興酒の誕生

約2,400年以上前の春秋時代(紀元前722~481年)、紹興酒は歴史に登場します。

当時の「呂氏春秋」という書物には、越王である勾践が、呉に攻め入る際に、長江にお酒を投げ入れる必勝の儀式をして兵の士気を高めたという記述が残っています。この時のお酒が紹興酒であったと言われているのです。

王羲之の「蘭亭序」

王羲之の「蘭亭序」は東晋時代(317~420年)の宴で詠まれた詩を集めた詩集の序文です。その序文に述べられている宴の様子には、紹興酒の盃を曲水に浮かべて流し、自分のところに流れ着くまでに詩を作ることが出来なければその盃を飲み干す必要があったことが記されています。

蘭亭序(定武本)

南北朝時代の紹興酒

南北朝時代、梁王国(502~557年)の孝元帝がその自叙伝の「金楼子」にて紹興酒のことを書いています。紹興酒が入った銀の壺を傍らに飲みつつ、寝そべって読書をした様を伝えているのです。

神戸・元町で買った紹興酒を飲んだ

元町で買った紹興酒です。廣記商行のお勧めでこのお酒、「紅楼夢」を選びました。このお店で一番人気のものらしいです。飲むのが楽しみですね。

これは廣記商行オリジナルの紹興酒のようです。楽天市場などでは探せません。興味ある方は、廣記商行にご連絡ください。電話で注文できるようです。

紅楼夢

紹興酒 紅楼夢

中華料理に合う最高の手作り紹興酒を厳選し 製品化しました。 仕込甕からの上澄み部分だけを厳選し使用して おります。 紅楼夢は陳年6年であり、熟成5年~熟成 10年の紹興酒をブレンドしております。

●ボトルタイプはすっきりとした味わいに、 ●甕タイプはゆっくりと空気を吸い込んで熟成さ れるため口当たりまろやかな味わいが特徴です。

本来の美味しさを楽しむために、ストレートでの 提供がお勧めです。 また、夏場は低温に冷やしてのご提供もお勧め です。

紹興酒 紅楼夢

オリジナル紹興酒である「紅楼夢」と同じ、中国 浙江省紹興市の会稽山にて製造しております。 日本の料理酒より、中国料理酒は紹興酒の 旨み、味が料理を引き立てます。是非お試しくだ さい。

会稽山紹興酒股份有限公司

廣記商行のHPより

常温で飲む

中国での一般的な飲み方は常温で飲むストレートです。
芳醇な香りとまろやかな味わいが口中に広がりますね。中華料理に多い油料理にも負けないお酒です。常温だと紹興酒そのものの旨味を感じることができますね。
夏などはロックや、冷やしてストレートで涼しく飲むこともあるようです。

紹興酒「紅楼夢」の味

まろやかな味わいですが、後味がすっきりしています。程よい甘みもありとても美味しく感じました。仕込甕からの上澄み部分だけを厳選し使用してということで、これがすっきりした味わいに通じるのかなと感じました。

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台湾の紹興酒

紹興酒が台湾に?

台湾にはもともと紹興酒はありませんでした。

1949年、中国共産党に追われた蒋介石が台湾に身を寄せたことから、台湾紹興酒が生まれました。蒋介石は台湾で紹興酒の伝統的な醸造法の研究を指示し、紹興酒製作を進めました。

蒋介石の納得いく紹興酒ができあがるまで、長い年月を要したのだそうですよ。

蒋介石は紹興酒の産地、「紹興」がある浙江省の出身です。そのため、紹興酒への思い入れも人一倍強くあったようですね。

蒋介石は以下のように紹興酒をランクづけしていたそうです。

  • 「皇」 中華民国の旧都南京を奪回時の祝賀会用
  • 「王」 蒋介石用
  • 「公」 国の行事用
  • 「候」 議員への下賜用
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台湾の紹興酒を神戸・元町で買った

今回買った台湾の紹興酒は前述の大陸のものと同じ元町の廣記商行で書いましたよ。

今回買った台湾の紹興酒「台湾陳年紹興酒」

酒後不開車 安全有保障

ラベルに「酒後不開車 安全有保障」と書いてありました。台湾のものなので漢字で書いてあり、だいたいわかりますね。「酒を飲んだ後には運転しない。安全なことには保障がある(安全には保障が付き物であり、保障できないなら安全ではない)」という意味です。

台湾でも飲酒運転は厳罰化されています。近年、さらに厳しくなりました。リンク先をどうぞ。

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「台湾陳年紹興酒」の味

前述の大陸のものに比べて、この台湾の紹興酒は香りが強いです。まろやかというより、直線的な辛口に感じます。人によってはクセが強いと感じるかもしれません。個人的にはこの台湾紹興酒の味、僕は好きです。

台湾紹興酒にはカラメル色素は入れていない

この台湾紹興酒のラベルを見ると、カラメル色素は添加されていません。台湾ではカラメル色素は無添加であることが多いらしいです。そして、大陸では年数の異なる紹興酒をブレンドすることが多いのに対して、台湾では原酒からそのまま出荷することが多いです。

カラメルの効果は着色だけではありません。コクや、ローストしたような香りを与えるとされているのです。すなわち、大陸の紹興酒は香りや味わいをさらに深くしようとしてカラメル色素を入れていると考えていいと思います。

カラメル化ってすごい!|これで風味と色合いを・褐色の美味しさの秘密カラメル化はとても興味深い化学反応です。褐色の美味しさはどうやって作られるか、書きました。砂糖を使って簡単にカラメルは作ることができます。...

「亜細亜大観」に掲載された古い紹興酒作りの写真

「亜細亜大観」は、大連に拠点を置いた亜細亜写真大観社が1926年から1940年頃まで発行した月刊の写真帳です。写真帳の台紙にはモノクロプリントが貼り付けられており、写真1枚ごとに短い解説文がつけられています。10枚を1セットとして、1ヶ月に1回、会員向けに配布されたようです。
日本人カメラマンが、中国・朝鮮半島・モンゴル・チベットなどの風俗や民情、自然風景、歴史的建造物などを撮影したものであり、当時の様子を伝える貴重な資料です。

「亜細亜大観」に紹興酒を生産する紹興の街の様子や酒作りの写真を見つけました。大変興味深いと感じます。解説文も一緒に紹介しますね。

江南の春は紹興の酒に盡き紹興の酒はやがて江南の春を領するとも云はうか。錫の壺から滾々と流るゝ落ちついた琥珀の色、爽かに溶け行く味と香、幾歳十幾歳を大地の底深く秘めて飽く迄も淸み且つ凝つた色と味と香、そは豐潤な、しかし何となく古雅な江南の春の情趣を渾然として融合し調和してゐる。|紹興の町酒に興り紹興の民酒に賑ふ。江南古來美酒の產地、殊に紹興は日本の灘である酒瓶を燒く老人のとろけるやうな微笑をみよ。

紹興は第一に酒の町である。|支那酒の數は多けれ、紹興花彫酒こそその第一だ。琥珀の色と蕩けるやうな甘味、かくて紹興酒の名によつて代表されるこの町は、誰か何と言はうと、支那の酒の本場だ。|この支那の「灘」紹興の、とある酒棧の店頭だ。奧には「太白遺風」の金看板が掛つてゐた。(一九三〇年撮影)

紹興酒は糯米から採る。あの褐色を帶びて居るのは麥を混じて居るからで稍々ビールにも似たところがある。酒糟は篩にかけて甕の中に貯へられ、之れを醗酵せしむるには水を適當に加へて寢かして置く。やがて白泡の立つ頃、酒締めにかけて絞り出される。酒倉の中には日本ならば杉の香のする酒樽といふのであろうが此の地では大甕の中に容れて糯米の藁で覆ふて置くだけだ。

ずらりと江岸に並んだ酒瓶の列、白壁に滲み込んだ酒の香り「銘酒は灘」と云はるゝやうに著名な紹興酒の產地は紹興の町から少し離れた東浦がその釀造地である。產額年一億六千萬斤、(六十四萬石餘)古來支那東西南北この酒瓶を見ぬ地は無いと云はる。

支那では酒と云へば紹興酒を隨一とされ我邦の灘の生一本と云ふ處である。紹興は寧波運河を杭州から三十餘哩の處、春秋には越王の舊都があつた古地である。町端れの河岸に並んだ酒積舟の群にも如何にも酒都らしい趣がある。

年產約一億四千萬斤、日本の石數に換算して約六十餘萬石と言へば、物產の上からも紹興の存在は決して小さくない。その酒は獨得の容器のまゝで、支那南北各地に普く送らるゝのみか、南は華僑の散布に從ふて南洋各地に、東は數寄者の好みに誘はれて日本にまで延びてゐる。|壜行とあるのはその獨得の風雅さを持つ仕込壜の製造家だ。(一九三〇年撮影)

紹興城内は水路四通八達、軒から軒に小船を操る水鄕情緒が見られ古くから紹興酒の聲名と共に有名な處である。產物は酒を第一とし米、雜穀、絹織物、紙、扇子等があり、浙江財閥の本據であり富有な町として知られる。

酒の都、支那第一の稱ある。紹興酒の本場で釀造高も年額多大な數に上つてゐる。從て客棧も料理も發達した古い土地柄である。街は、俠路であるが人口も多く古蹟名勝を訪ふ文人墨客も多く殷脹を極めてゐる。客棧も店頭にいろ(いろ)料理材料を並べて客を呼んでゐる。

酒の都、紹興は支那酒の代名詞となつてゐる程に名高い。釀造高、六千五百石に上り人口二十萬、城内は水陸縱橫に亘り舟行頗る頻繁で又街路は概ね狹隘だが、富裕の都會であるから商家は揃比し殷脹を極める。運河交通の中心である。氣候も暖く碑樓に近き梅花も滿開である。

瓶に酒が詰められると口は荷葉で蓋をされ、その上に素燒の皿(燈盞頭)を置き、更に竹の皮で包裝する。燈盞頭には自家の屋號を印刷した紙片が貼られるかくて五十斤入れの酒瓶は泥で泥頭を作つて密封し、鏝できれいに整形して酒造元の商標蕾紅印が押捺される。瓶口を荷葉で覆ふのは酒の芳香を好くするのだとも謂はれ、腐敗を防ぐ効もあるらしい。

紹興の街から十五支里の海岸に東浦といふところがある。大体紹興酒の本場は此地であるが、古來から集散地の紹興地名で聞江て居る。人口僅か五六千の一部落であるが、町全体は殆んど釀造に終始して居る。縦横に引き込まれた水路の兩岸は酒の空瓶に埋れて、酒庫の白壁には長い間の酒香が滲み込んで居る。

酒屋の院子に列べられた酒瓶は、蕾紅印を押された幾百個の泥頭を行儀良く整列せしめて、簡單に屋根を覆ふて風雨と日光の直射を防ぐ。飾り氣のない粗野な此の酒瓶の中の狐色の水は、年數を經れば經る程ボルドーの葡萄酒のやうに甘美な芳醺を自然に釀して聲價を上げる。

紹興城内は水路縦横に通じて、至るところ川端に列ぶ酒屋街の氣分が横溢して居る。支那東西南北紹興酒の酒甕を見ないところは無い程名高い彼の狐色の水が此の南陬の水都で醸造されるのだ。人口二十万、なか(なか)富裕な町だけに、革命軍あたりの財源には何時も痛い程搾られる。昔此の町は倭寇の攻略にも可なり目に合つた歷史を有する。今に尚その遺跡を偲ぶに足るといふ。

酒庫に貯藏された酒は謂はゞ地酒と云つた程度のもの、之を市場に賣出すには一度大釜に入れて煮沸する而して愈々酒瓶につめる時少量の燒酒が混ぜられるのだ。紹興酒の一種に竹葉靑と稱して黃金色に澄んだ酒がある。之れは笹の葉を入れて造つてものと稱せられる。古來日本にも釀造には竹の葉を用ゐることは杜子の秘傳とされたものだが、或はその起源が紹興から傳へたものかも知れぬ。

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