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ベートーヴェンにご馳走になったら、、、
ちょっと怖いですね。この写真、、、。さて、ベートーヴェン(1770 〜 1827)の食卓はどのようなものであったのでしょうか。
予定を決めても
ベートーヴェンはよく食事の時間になっても帰らないことがあり、歴代の家政婦たちは大変困ったみたいです。はなはだしい時には「友達を招待しておきながら、すっかりそれを忘れて、遠い郊外を歩き回っていた」ということもありました。
「もう待てない!」と、招待客たちはベートーヴェンのうちから出ていくことになります。このように、ベートーヴェンは会食の予定を決めても守らないことが多かったと記録されています。
ところが、新しい訪問者があると「それでは、一緒に食べようではないか」と、よく食事に誘いました。したがって、ベートーヴェンと一緒に食事したという話はたくさん残されているのですよ。
いつ誘われるか
ベートーヴェンが客を招くのは金曜日が多かったと伝えられています。なぜならベートーヴェンは魚が大好きで客を招くのに、魚市がたつ金曜日が最適だったからです。ベートーヴェンは、数ある好物の中で「魚料理」が一番好きだったという話は意外でした。
こんな感じだったのでしょうか。
ベートーヴェンが食べたメニュー(記録された主なもの)
- 魚料理(大きい鱸(スズキ)を分けあって食べる/ドナウ川の川魚(川鱒など)/鱈(タラ)にバターソースとジャガイモを添えたもの/金曜日に多かったメニュー)
- 牡蠣(季節によってはたくさん食べたようです)
- パルメザンチーズをかけたマカロニ
- 豚の血を固めたハンガリー風のソーセージ(油で揚げたものに限る)
- 骨を煮詰めたスープに堅パンを刻んで入れたもの
- ホウレンソウを添えた炭焼きの肉
- 子牛の肉(子牛の肉は好きだったようで、よく話に出てきます)
- 野獣の肉(野鴨なども含む/ジビエですね)
- 肉のシチューの中にパンを一緒に煮込んだスープ(これは毎週木曜日食べました)
- 10個の鶏卵で作った大きなオムレツ#
- キャベツ・栗
以上が記録に残っているベートーヴェンが好んだものです。
#卵は食べる前にベートーヴェン自身が一つ一つ点検。一つでも藁(わら)臭いのものを発見しようものなら家政婦を目の前に連れてきて、烈火の如く怒り、罵詈雑言を浴びせました。逃げようとする家政婦の背中に腐った黄身を叩きつけることもあったというから激しいですね。
#もっとすさまじいインサイドストーリーがあります。ベートーヴェンは卵には異常な反応をするらしいですね。お客さんが食卓の上にある卵の異臭に気がついて、気を遣ってそれを隠そうとしたら、、、、ベートーヴェンはそれに気がついたらしいです。それからの行動が常軌を逸してます!
悪臭のする卵を奪い取ったベートーヴェンは、それを掴んだまま、窓際まで歩いて行って、窓からその卵を下に投げつけたんです。そして2個目も投げつけました。3個目を投げつけたときに、往来では何やら恐ろしい騒ぎが起きました。叫び声や、ウイーン人独特の悪態の言葉の数々。やがてホルン(郵便ラッパのようなナチュラルホルンでしょうね)を吹き鳴らしながら警察隊が到着します。しかし、ベートーヴェンは耳が聞こえないために、全く意に介せず、ピアノに向かって弦楽四重奏のアイデアを練り始めていたというからすごい話です。
その当時の料理の提供方法
多くの文献を読む限り、ベートーヴェンとの会食は「フランス式」の料理の提供の方法によっています。つまり、フランス宮廷で行われていたように、長方形のテーブルに前菜からメインディッシュまで分け隔てなくズラリと並べ、給仕に取ってもらう方式です。この当時はこの「フランス式」が主流でした。時代を経て、現代の一品づつテーブルに運ばれる方式になったのです。これは「ロシア式」と呼ばれています。
ベートーヴェンは料理でいっぱいになった食卓にお客と向かい合って座りました。家政婦には「私が注文したものを来客が席に着くまでに残らずテーブルの上に並べておくように、、そしてお客様がきてからは一切何も後から運んではならない」と命令していました。
しかし、、、ある時に
ある家政婦はベートーヴェンの厳格な命令に従わず、来客が来てからこっそりとヌードルの入った鍋を食卓の隅に置いたらしいです。客との歓談でベートーヴェンには気づかないだろうと思っての行動。どういう経過でこうなったのでしょうか。指示されていたのに、このヌードルだけは作り忘れていたのかもしれません。ところが、これに気づいたベートーヴェンは怒りに満ちた言葉で家政婦を罵倒します。
「この呪われたばばあめ!誰の許しを得てお前は命令に背くのか!?」
そして鍋をつかむと、中から湯気が立った麺をその老家政婦にむけて投げつけました(毒舌ですね)。
しかし、、、家政婦はエプロンで受け止め(ナイスキャッチ!)その場で大急ぎで消えたというから、吉本新喜劇さながらのオチになりそうなのですが、その後も意味の分からない罵倒する言葉が戸の外へ鳴り響いたみたいです。
コーヒーは
朝食には特選極上のコーヒーを欠かしたことがなかったようです。
コーヒーはベートーヴェン自身で秘蔵のガラス製のコーヒー沸かし器で入れていたのです。訪問者たちに、この自慢のコーヒーの容器の説明をするのが好きだったとか。
厳格な規則
一杯ごとに60粒の豆をきちんと数えてトルコ式コーヒー挽きにかけました。
お酒を飲んだか
ベートーヴェンはかなりのワイン好きです。死後、彼の頭髪から多量の鉛が検出されました。鉛には甘味料的な働きと殺菌作用があったために、その当時ワインによく入れていたのです。このことから、ベートーヴェンはワインをたくさん飲んでいたと推定されています。
どこで食べたか
ベートーヴェンの部屋
当時の著名なオーストリアのバイオリン教授ヨゼフ・ベーム(1795 〜 1876)の記録によると
「私はそのころ、ベートーヴェンから食事の誘いをうけたことがあった。彼の部屋の中の不整頓さは、梳いたことのない彼の頭髪の延長のようなものであった。彼の聴覚が不自由であったこと、彼の疑い深さ、それらは彼に仕えるものたちにとっては耐えがたいことだったに違いない。したがって彼は、彼の家に出入りした老家政婦から、じつに不親切な、不誠実な待遇しか受けていなかった。」
うーん、そんなところで食べる気は、、、誘われても、どうですかね。
数々のトラブルの後で
ベートーヴェンは老家政婦に我慢できなくなり(自分が異常に反応しすぎなのですが)、「私がこれからは料理する」と宣言したみたいなのです。
ベートーヴェンは、毎日、決まった時間に市場に行きました。材料を選んで、庶民的な値段まで値切ったみたいです。そして一人でこれを料理するという日課になりました。食事を作ろうとするのですが、なかなか満足にできません。招待された客は散々待たされた挙句に、「またきてくれ」と言われ翌日再度訪問ということが多かったみたいです。次の日に来たら、この巨匠は、寝巻きに櫛も通さずに乱れた髪に堂々たる寝帽、腰には空色のエプロンをつけています。そして、「まだ作業中である」と伝えられる有様。
食事にありつけても、、
オーストリアの指揮者、作曲家、イグナッツ・ザイフリート(1776 〜 1841)が言うには
「客人たちは一時間半以上もしびれを切らしたあげく、腹の虫も忍耐の限界に来た頃、ようやく料理が並べられた。ところがスープはウイーン中の、どの乞食レストラン(原文ママ)よりもお粗末。子牛は火の通っていない生煮えであり、野菜は水と油の中に浮いており、揚げ物は煙突のすすで燻したよう。そして、もっともっと困ったことは、この上機嫌な名料理人をもって自認しているこの家の主人公自身が、後から後から料理を並べて、冗談を飛ばしながら、客人たちに強制することであった。客人たちは、まったく息の詰まる思いでこの家を辞去したであろう」
ベートーヴェンの逸話には創作された部分が多いのですが、それを考慮してもこの話はオーバーな書き方のように感じます。少なくとも料理上手ではなかったというのは事実ですね。
いろいろありましたが、ついには、もとの老家政婦が復職するという話になりました。めでたしめでたし。