エッセイ

尾崎晋也のエッセイ70「桜」

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ヨーロッパにいても春には桜を思う。世界各地にいて、母国を想い懐かしむのは異邦人に共通することだろうけれど、日本人だったら、その時ふと桜を思い浮かべるのではないだろうか。ツツジでも、椿でもなく、やっぱり満開の桜でなければならない。

音楽で桜といえば「さくらさくら」だ。オリンピック開会式の日本選手団のテーマ曲でもあり、オペラ「蝶々夫人」にも出てくる日本古謡だ。アメリカに住んでいるころ、パーティーで日本の曲を弾いてほしいとリクエストがあった。そんな時に弾くのがこの曲。カルチャーショックの大きい渡米直後、故郷を想い、胸が詰まりそうになりながら弾いたこともある。ホームシックに駆られながら、思い入れたっぷりに、リリックに演奏した。

この「さくらさくら」は歌詞に三つのバージョンがあるが、最近歌われている歌詞にはどうもなじめない。昭和十六年三月に「ウタノホン」に載せられたものだ。さくら さくら/野山も里も/見わたす限り/かすみか雲か/朝日ににおう/さくら さくら/花ざかり。単なる風景描写だけで、どうも味気なく感じる。僕は満開の桜を遠景に見て、こんな人ごとのようには歌えない。

桜のパッと咲いてパッと散る潔さ、人はそのわずかな時を逃すまいとする。やっぱり「いざやいざや見にゆかん」でしょう。「さくら さくら/やよいの空は/見わたす限り/かすみか雲か/匂(にお)いぞ出ずる/いざや いざや/見にゆかん」。これは、明治二十一年、音楽取り調掛、つまり後の東京音楽学校が編纂(へんさん)したもの。ちなみに題は「さくら」。最初は唱歌ではなくお琴に合わせる琴歌、練習曲だった。

満開の桜を見晴るかす。紺碧(こんぺき)の空に映える薄紅色。途中「にほひぞいづる」とあるが、ここでいう「にほひ」とは、視覚に訴える美しい色彩のこと。花の匂いや、桜餅などに使われる葉の、あの独特な匂いのことではない。ほんのりと赤みを帯びた花びらが清々しい空の青に抜き出ているという構図になろう。いかにも「ニッポン、チャチャチャ」的な晴れ晴れしたものではないか。それを歌うことによって、歌詞の意味を思い、歌われたものが心に入ってくる。音楽とはまさにそういうものだ。

もともと江戸時代に歌われていたバージョンの題は「咲いた櫻(さくら)」。咲いた櫻/花見て戻る/吉野の櫻/龍田の紅葉(もみじ)/唐崎の松/常磐(ときわ) 常磐/深緑。他の二種とはだいぶ違い、名所巡りのようなものである。「花は霧島、たばこは国分」というところで、関西の人ならわかるだろうか。吉野は奈良県、龍田川は大阪と奈良との府県境、唐崎は滋賀県、常磐というのは常葉樹のことだ。

桜といえば桜餅も懐かしい。独特の香りが花粉症の鼻にも心地よいが、実は桜の葉自体に香りはない。あれはクマリンという匂いの成分に由来し、塩漬けにして初めてあの香りが出るのだ。葉っぱをそのまま食べても青臭く、夢も希望もおなかも壊すので、お花見で酔っ払ってかじったりしないように。

2008/04/13

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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